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気が向いたときだけ書いてますが地味に長く続いてます。
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自炊
2011/04/21 (Thu)

 今日の夕飯は牛乳を含んでふやけたシスコーンです、湯葉です。

 最近しっかりご飯作りすぎて飽きたので今日は手抜きます。
そして明日も手抜きます。
明日の朝ごはんは面倒なので今日の夕飯と同じです。
そして昼は学食で食べます。

 今懐かしの吹奏楽曲を聴いてます。
私って2nd、3rdだった曲の記憶が薄いんです。
あ、さすがに写楽とかは覚えてますけど。
たなばたとか、天馬とか…?

天馬は改めて聞くといい曲ですね。
クラのかっこいいところしか記憶になかったですけど…。

 サイゴン懐かしいですね。


 

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2011/04/10 (Sun)
 サークルっていっぱいあるんですね、湯葉です。

 この前久しぶりにカバンのそこから出てきたプリクラを見て葡萄酒が吹きたくなってます。
で、先日サークル見学なるものがありまして今興味があるサークルが3つほどあるので見に行ってきました。
そのうち1つは活動してなかったので見れませんでしたが。

 吹奏楽とオケとJAZZです。

楽器することしか頭にないっていうね…。
あ、ちなみに活動してなかったのはオケです。
オケといってもアンサンブルぐらいの人数しかいないんですが。
そうなるとラッパいらなくねえかとも思ってますが。

 JAZZはやっぱりsoloが多いですよね。
吹奏楽も見てきましたが私がやりたいのはやっぱり吹奏楽のようです。
スウィングへたくそですしね。
多くて30人ぐらいでなぜかクラリネットが少ないサークルなんですが吹奏楽でするラッパとJAZZでするラッパは違いますよね。

 そういえばこの前小学校中学校高校と演奏を聴いてきたんですが、少子化の波でしょうか全体的に吹奏楽人口が減ってきているようなきがします。
高校はまあ、あれですが小学校中学校はかなり少なくなってて小学校なんか私が4年生のときぐらいの人数しかいませんでした。

 アパート暮らしの辛いところですがやっぱりラッパが吹きたい…。

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2011/04/02 (Sat)

 ダメ人間です、湯葉です。

 あれ、ここで使ってたHNって湯葉でいいんだっけとわからなくぐらい書いてませんでしたがみなさんお元気でしたでしょうか。
こんなブログもう誰も見てねえよって、そりゃそうですがブログなんて最初から最後まで自己満なのでそれでもいいかなと思いまして久しぶりに書いてます。

 というわけで受験戦争を乗り切って一応第一志望に受かりました。
そんでもって今親元を離れて一人暮らし中なんです。
だからブログを書いてるんです。
大学受かったなら勉強しろよって、そりゃそうなんですがなんとなくそういう気分にならずにかつ暇なのです。

 下宿先にゲームを持ってきたのですがうちにあるほとんどのゲームハードの所有権はうちの兄にあります。
DSだけは例外です。てか携帯ゲーム機ぐらい個人で持てよって話ですねすみません。
しかしPS2でPSのゲームができるのでPSはもう兄にとって用済みなのです。
だからPSだけ持ち出す許可が下りました。
わーいなにしよう、ってなりましてとりあえずPS版のFFを買いました。
FF7とかFF8,9じゃないですよ。
FF4,5,6のコレクションのやつです、そうあの青いやつ。
とりあえず6からはじめてみましたが久しぶり過ぎてマッシュの特殊のやり方を忘れてました。
いっつもコルツで一回は死ぬんです。
なんだかんだ言ってFFで一番好きなシリーズなのでがんばります。
今やっとガウが仲間になったあたりです。

 一人暮らしアパートって結構音響くんですね。
隣人が異常なんでしょうか。

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2010/08/18 (Wed)

 我が家には愛犬が一匹と愛猫が二匹います、湯葉です。(かなり長いです)

 我が家の愛犬は、もともと捨て犬でした。
拾ったときの毛並みのよさとそのかわいさから、おそらく一度は飼い主がいたのだと思いますが、はっきりとはしません。
そんな彼女が何があったのか外の世界をうろついていたらしいのです。
そこを父の友人が保護して動物病院で見てもらったところどうやら足が悪いようでした。
しかし諸事情で父の友人は彼女を引き取ることができなかったそうです。
そこで動物にかなり優しいことで知られる(?)父に相談したのでした。
 ある日父は言いました。「犬を飼うことになるかもしれない」と。
かなり前なので記憶が定かではありませんが、そのとき一緒に「子供たちが世話をできるか」という条件を出されたと思います。
また、引き取り手がいないので今のままだと保健所に引き取ってもらうことになることも告げられたように思います。
 当時私たちは犬を飼うというのがどれだけ大変なことかわかっておらず、メリットである「犬と遊べる」ということだけに目がいっていたのでしょう。
当然軽く、世話ができるから飼おう、と同意したのでした。

 うちにきた彼女はひどく物におびえていました。
飼ってもらっていた家から出て父の友人に見つけてもらうまで何かがあったのでしょう。
特にビニール袋のガサガサ音をひどく嫌っていました。
そして足が悪いので活発に走り回るということはしない子でした。
眉毛をハの字に下げて不安そうに新居に迎えられたのでした。
 最初のうちは夕方の散歩は私が行くことになりました。
もう最初がどうだったのかは全然覚えてないのですが、私が犬のリードを手に取ると散歩と分かって首輪が苦しくなるぐらい暴れるのです。
そして約1~2mほどそのままの勢いで駆け出しては目の前にある田んぼの草むらのにおいを嗅いで用を足そうとします。
しかしそんな近所でことを済ませられるのは稀でかなり遠くまでいかないといけないこともありました。
私は小学校2年生で運動好きを卒業し、インドア派だったのであまり遠くまで歩くのが好きではありませんでした。
だからすぐに近くの田んぼの斜めになった坂に座って、彼女も横に座らせて夕日を見ながら歌を歌っていました。多分、「赤い屋根の家」だったかそんな題名の2番で街が変わってしまっている歌でした。
当時何故か私の中でマイブームだったようです。
 また早く家に帰りたいときは早く彼女が帰るように無理やりリードをひっぱったり後ろから進むようなことをしたりして帰るように仕向けていました。

 そして私は忙しくなり散歩に行かなくなりました。

 彼女はそれでも私がリードをもったり近くに行くと散歩にいけると思い、嬉しそうにとび回ります。
ちょっと申し訳ない気持ちになりながら「疲れてるから」と私は彼女を後にして家に帰っていきました。

 彼女はひどく車酔いをする犬であまり遠くに連れて行ってあげられませんでした。
車に乗せるとしんどそうにして涎をたらすのです。
それでも若い頃はすこし遠い川原まで行って遊んだような気がします。
あまり覚えていませんが…。
 しかし遠くに行くのは彼女にも負担がかかるので近場で放して運動させていました。
夏の夜は暑いので幼い頃はよく夕涼みに母や兄と出かけていました。
そのとき彼女も一緒に前の広い空き地(おそらく空き地ではなく今思うと荒れた畑跡だったのかもしれません)に放して走り回らせていました。
茶色くなった枯れ草の向こうへ嬉しそうに走っていってそれを飛び越えて元気に帰ってくる。
彼女はとても可愛かったです。
そのころまだビニール袋や大きな音には恐怖心をあらわにしていましたが、最初より元気になってよく犬用ジャーキーを持っている母のあとをリードなしでついていっていました。
 暑くなると涼しいところを求めて近くに植えてある草木や花を押しのけて植木鉢に座ろうとするのでよく怒られていました。

 彼女の容態が変化したのは一昨年の冬のことでした。
子供だった私はあまり知識がありませんでしたし、母も昔犬を飼ったことがあるという程度であまり実は犬に関する知識がありませんでした。
彼女はビニール袋などを怖がる性格で物にすぐおびえていたので家の中で飼うことはできず、室外犬だったこともあったのでしょう。
彼女は寄生虫に犯されていました。
しかもかなり深刻な容態だったようです。
赤いおしっこが出ており、それはもうかなり状態でした。
寒い冬のことで体調を悪くしたのだと思っていた私は学校から帰ってきて母が悲しそうに「長くないかもしれない」といったときのことを覚えています。
そのとき私は、何で最近彼女のことをもっとよく見ていなかったのか、何で最近散歩に一緒にいってやらなかったのか、何で最近の元気な彼女の写真を撮ってやらなかったのかと、何で予防をしてやらなかったのか、多くのことを悔やみました。
(予防のことは母や父に任せていたのでよくわかりませんが、もうそのときはそんなに幼くなかったので自分がちゃんとしてやることもできたのに、と後悔しました)
寄生虫が心臓にいて冬の寒さで弱っているから体力もないので手術や薬も危ないとのことだったと思います。
そのときは温度に対する気配りや餌、そのほかいろいろな手を尽くして一時を取り留めました。

 それから一年間私は彼女の元気な写真をたくさん撮りました。
散歩には依然として行かないどうしようもないやつでしたが、前よりよく話しかけました。
でも今思えば前より全然散歩に行こうとしていなかったように思います。
学校から帰ってきたら自転車を止めながら「ただいま」と声をかけていました。
 そして今年の冬もなんとか乗り越えて、私も少し安心しかかっていました。

 今年のお盆ぐらいからでしょうか、また彼女が体調を崩していました。
よくおなかを壊す子だったのでそれで体調が悪いのかと思っていました。
一昨日ぐらいに母が暑さのせいだと思って日中の暑いとき、玄関の涼しいところに移動させました。
昨日私が見たときは犬小屋の隅で肩を揺らしながら大きく息をしていました。
母が心配してまた家の玄関まで移動させます。
肉の全然ついていない肋骨を大きく浮き沈みさせて音が聞こえるぐらい激しく息をしていました。
玄関でぐったりしていました。
私は室外犬である彼女が汚れていたので犬用のボディーシートで拭いたりブラシで抜けている毛をとったりしながら昨日一日扇風機をかけて暑くないようにして彼女とすごしました。
よく見るとダニがすごいついていたので兄と母とでとりました。
夕方には頭を上げるようになりちょっと回復したように見えましたが、やはりしんどそうでした。
缶詰のちょっと高いお肉の使ってある餌をあげても少し汁をなめただけで食べようとしませんでした。
 勉強を少ししては彼女の様子を見に行き、息をしているのを見て安心して勉強に戻る、の繰り返しを昨日は寝るまでやっていました。
 お風呂に入りながら、犬の寿命ではどうやっても私が生きている間に彼女は死んでしまうということを考えて、今がかなり苦しそうであることも考えました。
それでも私は彼女にまだ生きていてほしかったのです。
寝るとき、朝起きたら彼女が死んでしまっていないか、それが不安で仕方ありませんでした。
私の部屋は玄関から近いので彼女が水を飲む音が聞こえて、まだ彼女が逝ってしまっていないことを知り安心していました。
しかし朝起きて母から知らせを聞いてしまうのは嫌だったので、いつも6:30にセットした目覚ましで起きて二度ねしてしまわずに朝から彼女についていてやろうと思い、寝ました。

 次の日、6:30におきました。
なのにやっぱり私は二度寝してしまいました。
そのあとおきてきた母の口ぶりから彼女がどうやらまだ生きていることを知り、6:30ではなかったのですがそのちょっと後ぐらいに彼女が浅く息しているところを見て安心しました。
8:30に母は用事をしてから仕事に出かけます。
早く帰ってくるから獣医に見せに行こう、行ってくる、と残して仕事に行ったのでまだ眠かった私はもう一度ちょっと寝ることにしました。
 ふと目が覚めたのは10時前だったでしょうか。
目が覚めたついでに玄関に彼女の様子を見に行こうと思いおきました。
玄関でぐったりしている彼女を見、近づいてみると彼女の肋骨の浮いた体はもう動いていませんでした。
横に投げ出された足には力が入っていませんでした。
名前を呼びました。
二回呼びました。
大声で呼びました。
体を触って呼びました。

彼女はその目を私にもう二度と向けてくれることはありませんでした。

触った体はまだ温かくて祖父がなくなったときに触ったあのつめたさはありませんでした。
ですからおそらく9時から9時半ぐらいの間に逝ってしまったのでしょう。

 「おやすみなさい。今までありがとう」
と告げましたが、その後から涙が溢れて嗚咽が漏れとまらなくなりました。
彼女が逝ってしまったこと、自分が結局無力であったこと、もう彼女がいないこと…

 自分が落ち着いてから母に電話すると母はまだ仕事する時間だと思うのですが、もう帰路についている途中でした。心配だったのだと思います。彼女がもう逝ってしまったことを告げるとちょっと矛盾したことを言いながら口早に電話を切ってしまいました。
兄を起こしました。
父に電話しました。

 ダンボールに入れるときもうかなり硬直してしまっていたのと、冷たくなってきていたのと、力の入っていない身体の重たさが手にのしかかりました。
地域の事情や家庭の事情もあって個別葬もできなかったしお骨も手元には残りませんでしたが、昼過ぎに最後の別れを告げました。
父が買ってきた新しいタオルに包まれてトルコ桔梗がその上に置いてありました。
トルコ桔梗は父が母の誕生日に買ってきたものでした。
私は最後に「またね」と声をかけました。

 私の家は彼女が優秀な番犬として守ってくれていました。
いろいろなものに怯えて吠えるので小学生にいじめられることもありました。
 彼女は夕方の地域の放送にあわせてほぼ毎日鳴いていました。
母は歌っているように聞こえると言っていました。
そうなのかもしれません、私に似て音痴なのでしょう。
 彼女が外にいてくれているので私は一階で勉強するとき窓を開けてカーテンも開けて勉強できていました。
彼女がいなかったら誰か今外にいるかもしれないと思ってできなかったでしょう。
その勉強部屋からは彼女がよく見えました。
窓を開けるとこっちを見上げる彼女の姿がありました。
勉強が終わって寝るときやそろそろ窓を閉めようというときに彼女に一声「おやすみ」と声をかけてから最近はしめていました。
こちらからは彼女の様子は暗くなると分からないのですが彼女に私の声は届いていたのでしょうか。

今日勉強部屋から外を見ても犬小屋には誰もいませんでした。
何にも繋がっていない鎖とおもしのブロック。
最初に買ったときはもっと鮮やかな色をしていた今は薄汚れた犬小屋。

 でも今は彼女のいた景色を、した行動を、癖を、それらを忘れてしまうのが何よりも怖い。

だからお願いです、ここまで長い文章を読んでくださったみなさんは私と一緒に彼女のことを覚えていてください。
私がちょっとでも彼女の話をしたことがある人はそのことを覚えていてほしいのです。

 彼女は足が悪く片方の足を地面に軽くすりながら歩きます。
座るときはお姉さん座りをするように少しセクシーに座ります。
豆柴ですが豆知識は言いません。
その代わり尻尾が微妙に二周近くカールしています。
ふわっとした薄茶色の毛色です。
眉毛がちょぼっとついています。
 拾ったので生まれた日はわかりません。
ただ便宜上バレンタインデーと一緒にしてあります。
拾ったときの年がわからないのでなんともいませんがおよそ享年は11~12歳だったと思います。
命日は8月17日です。

 名前を「プリン」と言います。

 我が家には愛犬が一匹と愛猫が二匹います。
大切な家族です。




 

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彼ら
2010/06/20 (Sun)
 久しぶりに独り言のカテゴリーですすいません、湯葉です。

 本当にどうでもいい話なんですけど、私はまともに彼らと喋れないんですがメールとかチャットとかならそこそこ話せるんです。
昔はまったくしらない彼らともチャットで話たりしてましたから。
(それがいろいろトラウマにならなかったかといえばそうでもないんですが)
電話はだめです、声はだめです笑
 自分でも不便だなと思うんですがね。

ここまできたらちょっと意地みたいなところもあるんですけどね笑

 というのをクラスで活動するときにくそ不便だとしみじみ実感したので今日はつぶやいてます。
私はツイッターなるものをやってないしやる気もないのでどんなにどうでもいいことでもストレス発散するにはここでつぶやくしかないんです。
すいません。

 ああ、でもHEROさんのツイッターの話はよかったなあ

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プロフィール
HN:
湯葉
年齢:
33
性別:
女性
誕生日:
1992/05/01
趣味:
楽器、スペイン語
自己紹介:
教習所の適性検査にせっかちと書かれ、隣に乗る教官ごとにせっかちと言われ、そういえば高校時代も部活でせっかちと言われたエリートせっかち。
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